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王祇祭 と その前後

(2011)



その9

2月3-4日:祭りのあとに



滞在期間が長かった分、
長々と書き連ねてきた2011年の王祇祭。

ついに最終ページ。







2月3日、前日まで祭りで活躍していたものを、
すべて撤去し、整理整頓。







漆器は洗ったあと、
十分乾燥させてからしまわねばならず、
繰り返して布で拭き、
文字通り山ほどある折敷も、
洗ったあと、布で拭き、更にストーブであたため、
きちんと揃っているか、数を計算し…

手間ひまかかる仕事も、椿出地区の皆さんの力があってこそ、
一日で終えられる。







(↑)こちらは当人宅の後始末で、
ひと段落してお昼を食べている時の様子。

写真手前・左の御方は、
ラーメンを食べているところを撮るなら
思い切り麺を伸ばしている方がいいろ?と言って、
思い切り麺を伸ばしているポーズを作って下さった(笑)。


…昼食後、筆者は失礼して受当屋にお祝いを届けながら、
竿戻しを見学に。








(↑)こちらが今年の受当屋、つまり来年の当屋さんの御宅。

大工さんをされているとのことで、さすがに立派なお宅である。

来年の当屋も椿出地区!


竿を持ってくる若人はどちらの方向から来るのかなー、
…と目を凝らしながら右を見たり左を見たり。

すると、来た来た、来ました。

今回は正攻法で!







(↑)竿を持って受当屋に突っ込む突撃隊。







(↑)写真左が、来年の当人・斎藤利雄氏。

右は上座の太夫さん。
利雄さんは太夫さんのご親戚。




竿を持ってきた若人を
座敷の上座に迎え、

黒川能下座の
斎藤平氏による
祝いの舞。

謡は同じく下座の
蛸井栄一氏と
斎藤正美氏。




下座の舞に続くのは
上座の狂言方さん達!

佐藤俊広氏(奥)と
五十嵐重一氏(手前)。

途中から観衆も
大合唱。




実ににぎやか・なごやかな様子!

こうして、今年の当屋が終わったその瞬間から、
すでに来年の当屋の準備が始まっているのである。

良い当屋になりますように!


…そうして筆者は急いで今年の当人宅に戻る。

すでに皆さん集まっての「出来上がり」が始まっていた。

この祭りのあとの「出来上がり」も、
今まで縁がなくて、見学&撮影できなかったシーン。







当人から、4名の世帯持ちさんに感謝をこめて。







(↑)当人に少々場所を移動して頂いて撮った、
世帯持ちの皆さんの記念写真!

写真左から、芳美さん、いねさん、嵩義さん、幸男さん。

(男女2名ずつであるが、ご夫婦ではない。)

芳美さん、いねさんの、きれいなこと!
やはり着物をお召しになると、ガラリと雰囲気も変わる。

嵩義さん、幸男さんも、いつにも増して立派!

無事にお祭りが終わったのも、
4人の世帯持ちさんの大きな努力の結果である。

本当に、ご苦労様でした!


…しばし皆で飲み食いしつつ、歓談の時。

すると…







受当屋からやってきた若人達が、当人宅に到着。

このあと筆者は台所で泣き上戸に手を握られ、
おかげで涙に感染してしまい、
涙が止まるまでしばし御不浄に引きこもっていた。

で、少し落ち着いてから座敷に戻ると…







いつの間にか皆、上の写真のように、黒々とした墨人間に!

墨を塗ってもらうのは、無病息災・魔除けの意味もあるそうで、
自らお顔を差し出して塗ってもらう人も。







折盛の遠藤秀隆氏から、棚上がりの少年達に、感謝をこめて。







祭りのあとの宴に酔う。







(↑)こちらも、墨を塗られて黒々とした人たち。

手前から、後ろを振り向いているのが
折盛で上座の舞方さんでもある遠藤秀隆氏、
そのすぐ後ろが「あっくん」こと、笛役者さんの秋山篤司氏、
その奥で、こちらを向いているのが、
当人のお孫さんで、
当屋の『絵馬』で天照大神になっていた釼持一行氏。







(↑)最後に、椿出の若人達が、当屋関係者を胴上げ!

ストロボがなかったので暗い写真になってしまったが、
上の写真は…たぶん世帯持ちの幸男さんの胴上げ。

バン!と、天井に激しくぶつかる音。

荒っぽさも親愛の情のあらわれ…かな…。







(↑)NHKの取材を受ける当人。







(↑)そして、翌2月4日。

お祭りの名残は足早に去っていく。

筆者も前夜荷物をまとめ、東京に戻る準備は完了。






帰る前に、いとしのせつさんと
権作さんに会いに、上の山へ。




上の山から椿出に戻ると、電話が鳴り、
筆者の小さなアイドルの記念写真撮影を依頼される。

えー!そんな大切な写真を、
筆者のような素人が撮っていいんですか!?

…と驚きながらも、
そんな記念の写真を撮らせてもらえるなんて、
めちゃくちゃ光栄です!




  



上でご紹介した、折盛で舞方さんの遠藤秀隆氏は、
着付も担当している。

その秀隆さんに、大地踏の衣装をつけてもらう颯琉くん。

再び可愛い大地子姿に。








まず颯琉くんを一人で数ショット撮ったあと、
家族みんなと、大地踏の先生・釼持孝文氏と共に、パチリ。


このあと、お昼をご馳走になり(もっけです…!)、筆者は東京へ。


無事に終わって良かったー!…と思う一方で、
悲しく寂しい思いが残る王祇祭だった。


無事に終わったのに、何が悲しく寂しいのか?

…それを説明するには少し突っ込んで書かねばならず、
ネット上のページに書くのはどうかと迷ったのだが…

しかし今回の上座当屋が異例の状況であったことは、
黒川では周知の事実。

祭りのあり方、黒川の今後を考える上でも、
何らかの参考になるかもしれないので、ざっと記述しようと思う。





祭りを仕切っていくのは、
地区住民の中で、当人から依頼を受けた、
経験豊富な4名の世帯持ちだが
(今回の4名のうち、幸男さんは別の地区から来ていた)、
彼らがうまく力を発揮し、順調にことが運ぶのは、
当屋となる家の協力があってこそである。

ところが今回、当人はお元気そのものであったが、
当屋の家族の中心的存在となる当人の子が、不在であった。

当人は、そうした事情に対する寂しさや不安の裏返しなのか、
たとえ人がいなくても、
すべて金銭的に解決できると思っていた。

世帯持ちさんに伺ったところ、
祭りの準備で内場の人の助けが必要になる時は、その都度、
村の一軒一軒に、当屋から挨拶に回る。
ところが今回はそれもなかったため、
当屋と内場の人の関係も、常とは異なるものとなってしまった。

当屋の親戚にご不幸が続いたということも一つの原因だが、
とにかく、当屋に人手がなかった。

こうした諸事情のもとでの王祇祭は例外的なものだろうが、
幸か不幸か、そのおかげで、
人の心を金で買うことが出来ないのと同様、王祇祭は金では買えないこと、
当屋の家族と村と世帯持ちが、
互いに協力し合い、それぞれの役割を果たしてこそ、
王祇祭は雪の中でもあたたかい祭りになるのだということが、
改めて証明されたのではないかと思う。

だが、とにもかくにも、
こうした難しい状況にもかかわらず、
当人が筆者を当人宅に受け入れてくれたおかげで、
なかなか見学する機会のなかった祭りの準備を、
黒川の内部で経験することができた。

世帯持ちさん達の仕事を間近で見聞きし、
色々と話を伺うことで、新たに学ぶことも多かった。

本当に貴重な経験をさせて頂き、松兵衛家には心から感謝している。

ただ、祭りは無事に終わったものの、
当屋の人の心がバラバラだったことだけが、
筆者には、悲しく、残念だった。





救いは、しばらくしてからやって来た。

東京に戻り、10日近く経ってから「あっくん」がメールで教えてくれたエピソード。
当人のお孫さんである一行さんの行動である。

本来自分の親(=当人の子夫婦)が行う内場への挨拶回りを、
1月29日のさらい&直会のあと、
一行さんが一人で行ったというのである。

椿出地区の一軒一軒に、「よろしく」と。

筆者はその話を聞いてびっくり仰天。

いつも、ひねくれているというか、冷めているというか、
そんな様子をしている一行さんが、
自らの意志でそんな熱い行動を起こすとは!

驚きと同時に、なんだかひどく切ない気持ちになった。

あんな冷めた様子をしていながら、
実は今回の当屋を取り巻く状況に、心を痛めていたのでは…。

さらに、あっくんによれば、祭りのあとの若衆の反省会には
少ない自分の小遣いの中から金一封を持ってきたとか。

あっくん曰く、
「一行は、どうせやるならみんなで楽しくやりたいという気持ちを持っていました」。

そうかー、良かった…!

でも、そういう気持ちを持っていたのならなおのこと、
当屋の状況、つまりご自分の家の状況には、心が痛かったはずだ。

きっと一行さんは、家族に育てられてきたのと同時に、
黒川の「みんなで」精神にも育てられてきたのだろう。


松兵衛家を継ぐ身だし、
ご自身も、
40年後? 50年後?
…くらいには
当屋じいさんになるはず。

気の長い話のようだが、
時間が経つのは
結構はやいものである。

その時には、
家族と、世帯持ちと、
村の人たちの心が一つとなった、
あたたかい当屋に
なりますように!


(←)こちらは2009年の当屋で撮影。



…黒川から、長期滞在の充実感に加えて
一抹の悲しさと寂しさをひきずってきた筆者だったが、
あっくんが知らせてくれた一行さんの熱い行動で、
悲しさと寂しさはずいぶん解消され、代わりに嬉しさと安堵感。


でも、多くの人の力が必要な、規模の大きい祭りであるだけに、
すでに単なる農村ではなく、
殆どの住人が兼業で、冬も仕事を持つ黒川において、
王祇祭を維持していくのが厳しいことに変わりはないと思う。

今まで残っていること自体、奇跡のようだもの。

そしてその奇跡は更に歴史を重ねるべく、
来年に向けて動き続けている。

昨年・今年と、上座の当屋は公民館を用いたが、
来年は再び当人の自宅が当屋に。

昔ながらの王祇祭の雰囲気になることだろう。

雪の中でも春の陽だまりのように
あたたかい王祇祭になることを願いつつ!

…長々と、上座のことばかり書き連ねることになってしまったけれど、
下座も良い当屋であったことを、心から願っています!

見られなかったのが本当に残念!

身体が二つないことが恨めしい…。





作成日:2011年3月18-27日

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