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新 嘗 祭

2009年 11月23日 於 春日神社


(その1)



今年の新嘗祭に行ってから、
早くも1ヶ月以上経ってしまった。

今日は12月30日。
先日のニュースで、櫛引で1mも積雪があったと聞き、びっくり仰天!

10月に柿もぎに伺った折、
「今年は雪が多くなりそうだ」と話していたが、まさに予感的中!
来年2月の王祇祭の頃には、どうなっているのだろう…。

…でも、約1ヶ月さかのぼって、11月23日の黒川は、







上の写真の通り、穏やかな秋の一日でした。
この写真を撮っていた時、ほら貝の音が聞こえてきた。
羽黒の山伏がこのあたりを廻っているらしい。







今回も、欲張って写真とビデオを両方撮っていたため、
結局、二兎を追って一兎をも得ない者になってしまった。
神事は、ずっとビデオ撮影を中心としていたため、
今回は上の一枚のみ。
「一般」のお客さんを代表して玉串を神前に捧げる
大山(鶴岡の隣町)の斎藤氏。

今回も、ずうずうしくも、鶴岡から同乗させて頂いた。
更にずうずうしいことに、ビデオ用に三脚までお借りしてした。
いつもいつもお世話になり、もっけです…。


…さて、能が始まる。
今回は、下座の能『箙(えびら)』から。

『箙』は「勝修羅」と呼ばれる3つの曲のうちの1つ。
他の二つは『田村』と『八島』。
『田村』はやはり下座のもので、『八島』は上座のもの。







ワキの旅の僧は清和政俊氏、
ワキツレの従僧は清和博道氏と清和荘一郎氏。

筑紫から都に向かう途上、
摂津の生田川で由緒ありげな梅を眺めていると…



(←)前シテの、里の男の登場。蛸井栄一氏。

(↑)僧が梅について尋ねると、男は、この梅は
「箙の梅」といい、梶原景季が生田の森での源平合戦の折、
箙に指して笠印にして戦ったことから名づけられたと語る。








合戦の様子などを語り、男は、
自分こそが景季の霊であると告げて姿を消す。







間狂言が入り…(秋山直之氏)







後シテの、梶原景季の霊の登場。
演じるのは斎藤平氏。

「魄は陽に帰り 魂は蔭に残る 執心却来乃修羅の妄執…」

「魄(はく)」ってなんだろう?と思い、辞書を引いてみると、
「たましい。陰の気に属し、死後もこの世にとどまるという」とのこと。
一方、「魂(こん)」はというと、
「たましい。特に陽の気に属して精神を司る」とのこと。

…とすると、上に引用した景季の科白と逆のような気がするが、
いずれにしても、これは陰陽五行の概念?

有難いことに、最近はネットのおかげで、
ちょこっと疑問が湧くと、すぐに調べられる。

で、早速チェック。
「魂魄」は道教の概念で、
易の思想と結びつき(易は1年の流れを陰陽の消長で捉える思想)、
「魂は陽に属して天に帰し(魂銷)、
魄は陰に属して地に帰すと考えられていた」とのこと。

「魂とは、肝に宿り、人間を成長させて行くものであり、
また、心を統制する働きだとされている。(略)
『魄』のほうは、文字通り白骨死体を意味する文字で、
人間の外観、骨組み、また、生まれながらに持っている
身体の設計図という意味がある」(Wikipediaより)。

これらを総合して考えると、
最初に挙げた辞書の説明とは矛盾しているように聞こえる。

「(本来「陰」に属するはずの)魄が陽(天)に帰り、
(本来「陽」に属するはずの)魂が陰(地)に残る」

…という景季の科白は、
自分の肉体(魄)はこの世に存在しないけれど、
自分の心・たましい(魂)は、
「修羅の妄執」として、この世にとどまり続けている、
いわゆる「救われない」・「成仏できない」状態であると
解釈してよいのかもしれない。



     



「不思議やな その様いまだ若武者の
胡簗(やなぐい)に梅花の枝を挿し…」と僧が語るように、
若々しい姿で
梅の花を伴って勇壮な合戦を再現する景季。

箙にさした白梅が風雅。







そして、しらじらと夜が明ける頃、
景季は旅の僧に弔いを頼んで消えていく…。

筆者は、最初に真剣に見たお能が修羅能だったせいか、
どうしても修羅能を見ると、特別な思いがわいてくる。

聞いたところによると、
この『箙』は、下座の三番をなさっていた清和政治さんが
十八番としていた曲だとのこと。

筆者が初めて黒川を訪問した時には、
残念なことに、既に故人となられていたが、
この政治さんという御方、
すばらしい役者さんだったと多くの人が語る。

今回後シテをなさった斎藤平さんは、
この政治さんのお弟子さんであったというお話。
師匠さんの十八番を自ら演じ、
きっと、きっと、心に感じるところが大きかったことだろう。

お疲れ様でした。
楽しませて頂きました。



それにしても、上でも触れたが、
五行・易など、古代中国の思想は、
それとは知らないうちに我々の生活に入り込んでいる。

え?知らないのは筆者だけ?
…そうかもしれない、無知なので…。
時間・日・月・年の呼び方が
十二支に則っていることくらいは知っていても、
現実の生活には何の関係もないようだし、
ましてやそうした概念が
古代中国の思想である陰陽五行や易に由来していると
改めて意識したこともなかった。

現代社会においては忘れられ、
毎年の年賀状に、その年の干支である動物が
登場する程度になってしまっているようだが、
明治維新を境に廃止される以前の千数百年の間、
こうした五行・易に基づく制度に則って
日本の生活が流れていたわけである。
…ということは、古くから続く習俗を理解するためには、
こうした思想もある程度
理解せねばならないということなのかもしれない。


最近、吉野弘子という人の本を手当たり次第読んでいるのだが、
これがメチャクチャ面白い。
我々の祭事やその他の民俗行事が、
陰陽五行の思想などに基づいていることを示しているのだが、
なるほど、と思わせられる。

黒川のことも、時々出てくる。

王祇祭の豆腐焼きも陰陽五行説で説明されているが…
どうだろう?

金気の色である「白」を火あぶりにし、痛めつけることで、
木気を助け、春を呼ぶ、という意識をもって
豆腐焼きをしているのだろうか?

今の黒川人が陰陽五行説を意識していないとしても、
豆腐焼きの始まり(起源はいつ頃なんだろう?)は、
そういう思想に基づいていたのだろうか?


話が脱線した。
こういうことは、もっと勉強してまたの機会に。

次のページでは2009年の新嘗祭に戻り、
下座の狂言『附子』と、上座の能『遊行柳』をご紹介。





作成日:2009年12月30日

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