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黒 川 能 と は



黒川は、山形県鶴岡市(旧東田川郡櫛引町)に属し、JR鶴岡駅から車・バスで20〜30分ほどの距離にある。夏は田の緑が輝き、冬には深い雪に埋もれる、庄内の農村だ。(農村とはいっても、恐らく他の農村同様、そこに住む人々のうち、専業農家の方は稀で、殆どの方が他の仕事を持ちながら農作業もしている。)
北に鳥海山、南から東にかけて湯殿山・月山・羽黒山の出羽三山など、山々に囲まれ、ゆったりと日本海に注ぐ赤川が流れる。


黒川能の歴史

黒川能を一言で説明するなら、「農民によって受け継がれてきた、500年以上の伝統を持つ神事能」であろうか。だが、正確に、いつ・誰が・どのようにしてこの地に能を伝えたのかは分からない。
後小松天皇の第三皇子 小川宮が伝えたという伝承説、13〜16世紀、庄内地方を領有していた武藤氏が、京から能役者を連れ帰ったのが始まりとする説など、いくつかの説がある。だが、どの説も決定的ではないようで、それが一層黒川を、神秘的で魅力的な存在としているようだ。
黒川を守るように
白く横たわる霊峰・月山



分かっていることは、江戸時代のはじめには能太夫がいたこと、能楽の維持に難渋をきたしていた記録、室町時代に織られた能装束が残っていることで、こうしたことから、少なくとも室町時代末期には黒川に能が存在していたものと考えられている。その後、庄内藩主酒井氏をはじめ歴代領主の手厚い援助に支えられ発展。明治維新や第二次世界大戦など時代の波にもまれながらも、黒川の人々の信仰心と能への愛着により、途絶えることなく今日まで守り伝えられている。


黒川能・春日神社・上座と下座

黒川能の役者さん達は、春日神社の氏子であり、上座と下座に分かれている。上座は椿出・橋本・上の山・宮の下・滝の上地区の氏子から構成され、下座は楯・仲村・大杉・小在家・成沢・漆原地区の氏子から構成される。(実際には、そんなにスッパリと境界線で分かれている訳ではないようだが。)

上座・下座にそれぞれ座長である能太夫がいる。上座の能太夫は椿出より選ばれ(2007年現在、斎藤賢一太夫)、下座の能太夫は上野與四太夫家が世襲する(現在、上野由部太夫)。また、能太夫とは別に、式三番の役は世襲であり、「翁太夫」、「三番太夫」と呼ばれる役者もいる。さらにそれぞれの地区には師匠と呼ばれる人たちもいる。

500番以上ある番組は、上座と下座に振り分けられ、競演の形をとる。上座・下座は互いに、「上に負けてはならない」、「下に負けてはならない」という強いライバル意識を持っている。その気持ちが互いを切磋琢磨し、また、黒川能が様々な困難を抱えながらも長く続いてきた大きな要因であるようだ。
ゆったりと流れる赤川

ライバル意識は上座・下座の間だけではなく、それぞれの地区間にも存在するように思われる。同じ曲でも、例えば椿出と橋本では随分と所作が異なる場合がある。今のように便利なものがない時代、一度雪に埋もれると、たとえ同じ座であってもそう簡単に行き来は出来なかったのだろう。役者たちはそれぞれの地区の師匠のもとに通い、そうした中で、地区の独自性も生まれてきたのだろう。今でも、役者さんたちは、自分の地区の形に誇りを持っているようだ。


黒川能の特色(ごく簡単に)

上で「500番以上の番組」と述べたが、現在上演可能なのは、上座・下座共にそれぞれ100番くらいらしい。そこには、中央では廃曲となったものも含まれている。例えば上座の「河水」(近年、黒川に触発された梅若六郎氏などによって「渇水龍女(かっすいりゅうにょ)」という名で復曲された)、下座の「鐘巻」(「道成寺」の原型といわれる)など。


下記の鶴岡市櫛引庁舎の黒川能サイトにも説明があるが、世阿弥が能を大成した猿楽能の流れを汲むという点では中央の五流と同系だが、異なる点も多い。
春日神社の鳥居。
2005年11月、新嘗祭の日に


すぐに気がつくのは人差し指を立てる構え方や、鬘帯(かずらおび)を面の上につける点など。これはこのサイトの写真でもご確認頂けるだろう。それから庄内の香りのする謡の響き、など。他にも色々な差異があり、ご興味のある方は下に挙げた書物などをご参照頂ければと思う。


黒川能を支える人々とその地域性

役者さん達の大半は、上記の通り、勤めをしながら農業もこなす。専業農家の方は稀である。そうした環境で大規模な伝統芸能を続けていくことがどれだけ大変なことであるか(黒川能は、上演回数も多いのだ:下を参照)。故郷を去って都会に仕事を求める人もいるし、それに加えて少子化の問題もある。役者さんばかりが注目されがちだが、女性が外で働くのが普通である現在、彼らを支える彼女達の存在も忘れてはならない。夫である役者さん達の世話をしたり、自分の属する地区で王祇祭ともなれば、その手伝いに明け暮れるなど、彼女達の献身と犠牲があっての黒川能である。お能のために払う経済的な負担も馬鹿にならない。王祇祭で当屋を勤めることは、名誉なことだが、その精神的・身体的・経済的負担は大変なものだ。当屋を受けない家も増えている。(王祇祭についてはこちらをご参照下さい。)

それでもこうして黒川能は続いている。練習後の宴会や、演能後の直会では、そんな問題を感じさせず、酒を酌み交わす。


2007年1月、王祇祭の直前の3日間、上座太夫さんのお宅で子供達の練習を見学させてもらったが、小さい子から高校生・大学生まで、それぞれ、楽しみながら、苦しみながら、稽古していた。「難波」の木華開耶姫(このはなさくやひめ)役の少年が、最初の日はなかなかうまく行かず、見ているこちらもハラハラしたり、気の毒に思ったり、頑張れ!と心の中で応援したり。また、ちょうど難しい年頃で、情緒不安定になっている少年が、それでも能の練習にはやって来る様子を見て、なんとも複雑な思いをしたり。

こうした練習を見学し、少年達を気遣いながら見守る太夫さんや太夫さんの奥さんの言葉を聞いたり、高校生の少年が、苦労している少年を見て、「自分もあの役をした時はなかなか出来なくて泣いた」などと話すのを聞いて、黒川では、全ての世代が能を通じてつながっている、皆で子供を育てている、と思った。以前から色々な話を聞いて、なんと地域のつながりが濃いことかと思っていたが、この3日間の見学で、その印象は決定的なものになった。

2005年2月1日
王祇祭の朝・雪の参道

だから、黒川能が続いていくということは、ただ能だけの問題ではなく、同時にこうした地域のつながり、人と人のつながりの問題でもあると思う。恐らく、実際にその地に住んでいる人にとっては、そうした「つながり」がうっとうしいものと思われる時もあるだろう。だが、人と人とのつながりが薄れていくばかりの現代社会において、こうした黒川の地域性は貴重だと思う。心の底から、末永く続いてもらいたいと思う。

…ちなみに苦労していた木華開耶姫の少年、日毎に進歩し、王祇祭では無事に天女役を勤め上げた。きっと太夫さんのお宅で練習した後、自宅に戻ってからも練習したのだろう。2月1日、その舞台を見ながら、練習時の少年の姿を思い、涙が出そうになった。

…途中から、「黒川能」の説明というよりは個人的な印象の記述になってしまったが(しかも駄文で…)、是非多くの人に黒川に足を運んでもらいたい。そして黒川の人々の魅力を、黒川能の魅力を、実際に肌で感じて頂きたいと思う。このサイトにあげた写真たちが、少しでも黒川の魅力を伝えてくれることを願いつつ。
2006年7月の虫干しにて



黒川能の演能スケジュール


 2月1日  (奉仕) 「春日神社・旧例祭(王祇祭)」 於 黒川座中民家
 演能: 大地踏・式三番・能5番・狂言4番
 2月2日  (奉仕) 「春日神社・旧例祭(王祇祭)」 於 春日神社拝殿内能舞台
 演能: 能2番・大地踏・式三番、神事など
 2月第4土曜日  (公演) 「蝋燭能」 於 春日神社拝殿内能舞台
 演能: 能2番・狂言1番
 3月23日  (奉仕) 「春日神社・祈年祭」 於 春日神社拝殿内能舞台
 神事、演能: 能2番・狂言1番
 5月3日  (奉仕) 「春日神社・例大祭」 於 春日神社拝殿内能舞台
 神事、演能: 能2番・狂言1番
 7月15日  (奉納) 「羽黒山・花祭」 於 羽黒山出羽三山神社儀式殿
 演能: 能2番・狂言1番
 7月第4土曜日  (公演) 「水焔の能」 於 櫛引町総合運動公園野外ステージ
 演能: 能2番・狂言1番
 8月14日  (奉納) 「荘内神社・例大祭」 於 鶴岡市荘内神社拝殿
 演能: 式三番・能2番・狂言1番
 11月23日  (奉仕) 「春日神社・新嘗祭」 於 春日神社拝殿内能舞台
 神事、演能: 能2番・狂言1番
 その他  不定期公演



黒川能に関する問合せ先



黒川能の里
王祇会館 

〒997-0311 山形県鶴岡市黒川字宮の下 253

tel (0235) 57-5310 fax (0235 )57-5311



上に挙げた黒川能の演能についてのお問い合わせなどは、
「王祇会館」へどうぞ!

王祇会館の内部では、能装束や面の展示、古い映像記録
などを楽しむこともできる。
眺めの良い場所に建つ王祇会館

筆者も王祇会館の方々には色々とお世話になっている。この場を借りて改めて御礼申し上げます。



便利なサイト・参考になるサイト


http://www.city.tsuruoka.lg.jp/kushibiki/dento/kurokawa/gaiyo.html

鶴岡市櫛引庁舎のサイト。黒川能についてのベーシックな説明や演能スケジュール、
観能申し込みフォームなど。)


http://www.sfsi.co.jp/fs/200701/14-15.pdf

「黒川能の伝統を守り抜く人々の知恵と努力」− 上座能太夫 斎藤賢一氏によって
荘銀総合研究所の機関紙 Future Sight (Winter 2007, 35号)に寄稿されたエッセイ。
黒川能の当事者、しかも太夫さんの生の言葉。



http://www.netcity.or.jp/michinoku/izakaya/data/casekurokawa1.html

「伝統民族文化の継承と支援−日本文化の創造と地域の創造−」という論文(?)の
ケーススタディの1つとして黒川能を取り上げている。

筆者は、2004年7月に初めて黒川を訪れる前に、この論文を読んだ。

黒川能が神事能であること、そして能役者達が一般市民である点にまず興味を持った。

国立能楽堂などで見るお能は、「芸術」に高められたお能で、観る側もかしこまり、すべてが磨きこまれたプロの技と感性と、それらが演じられる完成された空間を堪能する。音楽も同様で、プロの演奏を立派なコンサートホールに聴きに行く時、我々はやはり、磨きこまれたプロの技と感性を堪能する。それはそれで、素晴らしい体験であり、豊かな時間を過ごさせてくれる。だが筆者はその一方で、「芸術」となったものは、なぜか恭しく特別扱いされ、人々が日常的にそれを享受することが少なくなってしまうのを、いつも残念に思う。

しかし、神社での神事能であれば、「能」が「芸術」として恭しく特別視される以前の、普通の人々が参加する「神社のお祭り」的な要素、人々の日常の生活に自然と溶け込んだ姿のお能が見られるのでは、と期待したのである。演じる人たちも、プロの役者ではない、仕事や家庭を持つ一般市民である。そうした人々が、精進を重ねて、守り続けてきた舞台を、是非観てみたい!と思った。

筆者は幼少時から音楽が大好きで、特にドイツのバロック〜ロマン派にかけての曲を、ピアノで弾いたり歌ったりしてきた。クラシック音楽は、日本では(少なくとも筆者の周囲では)、残念ながら日常的に楽しまれているとは言えない。個人的に楽しんでいる人はたくさんいるが、社会的に、人の生活の一部として受け入れられる環境が出来ていない。…まあ、西洋の音楽だから、と言えばそれまでだが…。だが英国の大学院で学ぶ機会があり、そこで過ごした数年間で、かの地では、音楽がいかに日常的に楽しまれ、人々の生活に自然に溶け込んでいるか、身にしみて感じた。滞在を始めて間もない頃、ダイアナ妃の葬儀がテレビで中継されたが、音楽が盛りだくさんだった。もちろん一般市民は一流の指揮者とオーケストラを招いて葬儀をすることはないだろう。だが、普通の人も、例えば結婚式の後のパーティーなどでは、バンドを呼び、生演奏に乗って踊る。大学の学期中は日曜のミサとは別に、昼時に無料のパイプオルガンコンサートがある。路上でも、音楽学生やプロの演奏家達が素晴らしい演奏を聞かせてくれる。ほぼ毎日、町の中の大小のホールでコンサートがあり、チケットも日本に比べたら格段に安いので、頻繁に楽しめる。筆者自身も、音楽仲間と共に、学期ごとにコンサートを企画・実行したものだ。音楽は、普通に生活の一部だった。

日本の古典芸能である能も、そんな風に、人の生の営みの一部として存在している土地があるのだろうか?もしあるなら、観てみたい!そしてそれを守り続けている人々にとって、お能がどのような存在であるかを尋ねてみたい!というのが、最初の大きな衝動だった。

もう一つ知りたいと思ったことは、「信仰心」の問題だった。正月には神社に行き、葬式は仏式、結婚式はキリスト教の教会、12月にはクリスマスを祝い、大晦日にはお寺で除夜の鐘、さらに最近はハロウィーンやイースターまで、キリスト教徒でもない人が祝う…。(「祝う」のか、ただパーティーをする口実なのか、よく分からない。)宗教的に、こんなに無頓着でめちゃくちゃな国も珍しい。もしこの国に「信仰心」があるとしたら、それは一体どういうものなのだろう。黒川がその答えを教えてくれるのでは、という期待があった。そこには、やはり生活の中に自然に「神」が、人々の素朴な信仰心が、残っているのではないだろうか、と。

上記の論文では、時代と共に信仰心も形骸化している、などと書かれていたが、これだけ長く続いてきた神事能の伝統が、信仰心を欠いたうわべだけのものになることがあるんだろうか、と疑問に思った。こういう疑問に答えてくれる人は、黒川に住む人々以外にはいない。とすれば、行くしかない。

…そういう訳で、ここ数年、1年に数回、黒川に通っているが、社会が猛スピードで変化していく中、中世からの伝統を守っていくことは、貴重であるが、大変な困難であり、時によっては(或いは人によっては)、重荷だと感じる場合もあるだろう、と思う。上記の論文は、そうした問題にも触れている。黒川にいっそう興味を持つ契機となった、筆者にとっては思い出深い論文だ。

…おっと、つい長々と書いてしまったが、下に参考となる書籍のいくつかを挙げる。



参考になる書籍

「櫛引町史−黒川能史編」 戸川安章著、櫛引町

「王祇祭り− 黒川能の里の大祭」 井上孝一著、東北出版企画

「黒川能の世界」 馬場あき子・増田正造・大谷准著、平凡社

「黒川能狂言百番」 渡部国茂:写真、重田みち・正田夏子:解説、小学館


「太陽 − 特集:宇宙への旅、雪国の秘事能」(雑誌) 1966年 No.32、平凡社

 などなど。







2005年11月
新嘗祭・雨の参道









2005年2月1日
王祇祭の朝
雪の参道


2007年2月2日
王祇祭・神社での大地踏








作成日: 2007年5月4日
Revision: 2008年2月13日

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