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祈 年 祭

(2010年3月23日)




春まだ浅き黒川にて、祈年祭を見学。

神事はずっとビデオ撮影をしていたため、写真がない。

下の2枚は、2007年の祈年祭で撮ったものを再利用。







これからの季節に行われる田起こし、代掻きなど、
1つ1つの作業をもどく。
仮面をかぶってスクワット姿勢で歩行を続けるきつい役は
上座の笛方さんで神職もつとめる秋山篤司氏。
他に誰もやり手がいないのだろう(キツそうだもの…)、
今回も彼が担当。








可愛い巫女さんたちの舞。

上のような一連の神事に続き、
今回は上座の能『老松』と狂言『膏薬煉』、
下座の『範頼』。

『老松』は、筆者にとっては思い出深き曲、
『範頼』は、この年の王祇祭下座当屋でも演じられたが、
座った場所の関係で全く写真にならなかったので、
神社での再演は有難い…

以下は、2010年の祈年祭での撮影。

まずは上座の『老松』。








ある夜、夢に筑紫の安楽寺を参詣せよというお告げを受け、
やってきたのがワキの梅津の何某。




ワキの梅津某は
釼持武文氏。

お顔が見えないけれど、
ワキツレのお二人は
斎藤英介氏と
渡部元生氏。



前半を大幅に短縮し、後半、老松の精の登場。


シテの老松の精は、渡部千春氏。
(ワキツレの一人、渡部元生氏のお父上。)

「これは老木の神松の 千代に八千代に さざれ石の
 巌となりて 苔のむすまで …」



日本人なら誰もが知っている(はず?)
お馴染みのことばが続くおめでたい曲。


『老松』に続いて、上座の狂言『膏薬煉』。

都の膏薬煉と鎌倉の膏薬練が
技を競い合う。









都の膏薬煉は斎藤剛富氏(左)、鎌倉の膏薬煉は佐藤俊広氏(右)。

自分の膏薬で馬を吸い寄せたとか、
大きな庭石を吸い寄せたとか、
奇妙奇天烈な薬種を挙げたり(木になる蛤、空を飛ぶ泥亀などなど)、
ひとしきり自慢しあう二人。
最後に互いの膏薬を鼻につけ、吸い比べ。








一方が「すーいすいすいすい」と吸うと、
他方が「これはこれはこれは」と、吸い寄せられる。
様々な吸い比べの末、都方の勝ちに。


このあと、下座の能『範頼』。
狂言で笑った後に、この悲劇を見て、
それで今回の舞台はおしまいである。

筆者は大学生の時、
ギリシア悲劇が大好きでよく読んでいたが、
古代ギリシアで、
実際に悲劇が上演されていた時には、
喜劇とペアで演じられていたのかな、とふと思った。

『オイディプス』をはじめとしたギリシア悲劇も、救いがない。

この『範頼』も、救いがない。

修羅物の多くは、たとえ悲しいものでも
夢幻能の形をとっているせいで、
悲惨さ・陰惨さがやわらげられているように思う。
可哀相な最期を遂げた後シテは、既にこの世の人ではなく、
橋掛かりを通じて、あの世から現れる。

ところがこの『範頼』は、現在能。
現在進行形で、悲劇が目の前で繰り広げられていくのである。



平家を倒した源頼朝。
今度は自分の弟である
範頼と義経が謀反を
企てていると噂を聞き、
真偽を問うため、
範頼を呼び出す。

左端の赤い衣がツレの
源頼朝を演じる
上野司観氏。

右に坐しているのが、
源範頼を演じる
遠藤重和氏。



範頼は野心がない旨を誓うが、
頼朝は義経の謀反は事実であるとし、討伐を命じる。
範頼は、平家との戦いに功績のあった弟を
討つことは出来ないと拒む。



梶原景時、登場。平親善薫氏。
この男こそが、頼朝の耳にあれこれと「噂」を囁いた
張本人である。

範頼のいる修善寺を襲撃。







範頼は奮戦するが…



まさに孤軍奮闘。
ついに覚悟を決め、自刃。

景時は範頼の首を取り、
悦び勇んで鎌倉殿へ。

…これでおしまいである。

哀れな範頼のために
読経してくれる僧もいない
救いのなさ。




…以上が2010年祈年祭のリポート。
以下は、祈年祭前後に撮影した写真たち。



上の山地区に住む
渡部家のおじいちゃん、
権作さんと共に。

『老松』のシテを演じた
千春氏のお父上である。

左の写真は、
浅葱をほっているところ。

はじめ、一緒にバンケを
摘んでいたのだが、
途中、浅葱を発見。



浅葱の酢味噌和えは、
これもまた、初春を感じる春の味。

権作さんは、ご自身ではあまり
召し上がらないそうだが、
筆者のためにたくさん採って、
ご自宅に着いてから、
家の前の流れできれいに洗って下さった。
冷たかったでしょうに、
もっけです…

このあと、ご自宅で、
奥さんのせつさんとご一緒に、
色々お話を伺ったり。
楽しいひとときを頂いた。






上は、村の一角にある塚群。
赤い布をかぶせているのは…
さすがに中をのぞくのは悪いような気がしてのぞかなかったが、
多分、お地蔵さん?
その右隣の塚は、「山神」、その右隣が「庚申」。
そして右端が「みそ塚」。
庚申信仰については、最近民俗学の本で読んだところ。
「山神」は、どの山の神様のことなのかな…。
「みそ塚」は、どういう由来なのかな…。
ご存知の方、お教えください!








弘法さんの松といわれる大きな老松。


…さて、祈年祭の舞台は上記の通り、
救いのない悲しい結末だったのだが、
その悲しさを追い払うかのように、
今回の滞在に楽しい結末を運んで来てくださったのが
下座の皆さん。

下座の皆さんの前には、
お祭りでお会いしそびれてしまった
王祇会館の秋山氏も!

お祭りの後で、お疲れだったろうに、
わざわざ鶴岡駅まで足を運んでくださり、
筆者はただただ恐縮。もっけです…。







左の良い笑顔の御方が蛸井栄一氏、
右のおおらかなお顔の御方が、
運命のお導き(?)で滝の上で偶然お会いし、
迷子になりかけていた筆者を救って下さった斎藤平氏。
お二人とも大杉地区の熱心な役者さんである。



 (←)ダンディーな
  蛸井伊右エ門氏。
  誰かに似ている…と
  思っていたのだが、
  お隣に座って、
  白洲次郎だ!と気付く。
  優しくも鋭い
  目の辺りの雰囲気が…

  こちらは(→)
  下座の小鼓の師匠さん、
  蛸井正志氏。
  黒川能と小鼓のことで
  頭が一杯の御方という
  印象だったが、
  つい先ごろ娘さんを
  お嫁にやったばかりで、
  涙に暮れたとのこと。







お若い役者さんたち。
左端は、上記の斎藤平氏の体半分、
中央が清和克彦氏。
大杉地区の師匠さんである清和勉氏の息子さん。
そのお隣、右端の青年が、太鼓の清和荘一郎氏。
舞台上ではストイックな表情が印象的だったが、
こんな表情を見ると、まだ可愛い少年という感じ。


蛸井正志氏は、熱心に、清和荘一郎氏に、
自分が教えてやるから練習に来い、
自分は小鼓だが、太鼓のリズムは分かるから、と口説いていらした。
荘一郎氏は、悪いと思って遠慮しているのだ、と。

状況を知らない筆者は、無責任な発言は控えるべきだが、
一般論として私見を述べるなら、

「学ぶ機会は失するな!貪欲になれ!」

教えたくない人は「教える」とは言わない。
「教える」と言ってくれるなら、遠慮する必要はない。
(一応教職にある者として、そう思う。)

期待しているから、頑張ってもらいたいからこそ、
そういう言葉をかけてくれるのだろう。
下座の未来は、こうした若い世代に受け継がれていくのだから、
重鎮の言葉に甘え、技を磨き、
お父上を越えるような太鼓方さんを目指して下さい!


今回、上座の『老松』ワキツレ渡部元生氏とも
少しお話しする機会があったが、
高校生の元生氏、高校を出たあとは地元で仕事をしたいとのこと。

下座の清和克彦氏も、同じように地元志向。
清和荘一郎氏も、お父上と共に「百姓」を。
(「百姓」…いい言葉である。)

たまたま、ごく少数の地元志向青年達に出会っただけで、
実際には圧倒的に、都会で就職をと考える若者が多いのかもしれない。

だが、たまたま出会った地元志向の三青年を、
頼もしく思う筆者。

若者が自分の故郷を捨ててしまったら、
その故郷は、衰退・過疎化の一途をたどるのみである。
黒川の場合、黒川能の存続も危くなる。
ただでさえ、少子化は加速度的に進んでいるのだから…。

…とは言っても、都会に比べ、地方は圧倒的に仕事が少ないのも事実。
人の世に矛盾はつき物だろうけれど、
少しでも世の中が健康になるように、考えていかねばね…。


今回も、たくさんの方々にお世話になりました。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。





2010年4月4日記す

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